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一番強く心に残ったのは、年齢も抱える状況も様々な人たちが、毎日喜々として足を運び、それぞれが尊重され、それぞれの状況に応じた一日をゆったりと過ごしている。
その雰囲気の素敵さだった。
理事長さんの言葉のひとつ、「障害理解より、本人理解!」は、ぐっときた。
こうした素晴らしい活動をしている場所の存在さえ知らないで、心休まる居場所探しをしている人たちがどんなに多いか、想像できる。
「さんわーくかぐや」で、受け入れることが出来るのは、わずか10名。
そのことが逆に大きな希望であり光である。
それを感じることのできた映画でした。
(鈴木宏子 ふれあい館高齢者グループ「ウリマダン」共同学習者)

私はひきこもった時期があり精神障害と診断されました。
お菓子作りが回復のきっかけになり、続けられるようにと小さな工房を開きました。
現在は介護の仕事にも従事しています。
さんわーくかぐやの皆さんが創作活動や農作業する姿を見て、自身の辛い過去も振り返りながら、色んな方に支えられてここまでこられたなぁと感慨深い気持ちになりました。
お嬢さんのためにつくった場所が、映画になり、映画を観た方がそれぞれの地域で「かぐやのような場所を作りたい」と願うこと、それは寛子さんから母親と靖正さんへのプレゼントなんじゃないかなと、温かい気持ちになりました。
(登坂真代  手作りおやつ工房とさか)

障がいのある人は、人の愛おしさを教えてくれる。
そう思う映画。
統合失調症の娘さんのためにさんわーくかぐやを作った慶子さん。
参加者から、娘さんからの贈り物だったんじゃないか?と尋ねられ
「娘が生きて、意味があった。感謝している。」と仰った姿は「愛」そのものでした。
課題だらけの福祉の制度をつくりかえていくのは、現場とそして「政治」
私もがんばろう。
(青木マキ 神奈川ネットワーク運動・神奈川県議会議員)

一人ひとりが自分らしくいられる場所を作ることの難しさ、
理想通りにいかない現実、理想を追うと追いつかない経営など。
知れば知るほど、かぐやがあのまま存在できることのすごさを映画から感じました。
それは受け入れるスタッフや慶子さん、靖正さんの人柄も大きいと思いました。
誰かが欠けていたら、あの場所にはならなかった。
絶妙なバランスで出来ているから、美しくもあり、笑えたりするのかなと思いました。
(Kさん 社会人大学生)

福祉について知りたい、そんな思いで足を運んだ上映会で観たものは、温かさ溢れる一人ひとりの日常でした。

緑に囲まれ、木漏れ日に包まれながら、ありのままでいる人々が集う場所
映像から温度感まで伝わってくる、そんなかぐやの日常の一部を見て
今の自分に向き合い、今のその人に向き合い、今の現状を共有しあえる空間があること。
そのような日常が、ずっと続くのは難しいかもしれないけれど、日常の一部にあるだけでも心の豊かさは全然違ってくるなあと思いました。
  (松野下あかり 隠岐島前高校3年

自分は精神的な障がいを長く抱えているので、当事者としても観ることができました。
今は親と暮らしていますが、今後の生活の心配をつねに持っています。
このような人、場所がゆたかにあったとしたら、こもらずに社会へ出てくらしていく、という、こわいことも前向きに考えることができるだろうかと思ったりしながら・・・
ことば(セリフ)を通しての気づきや学びもありましたが、通われてくる方の、言葉のない表情や、眼ざしを通しても、深いかなしみ、不安、よろこびが伝わってきて・・・障がいのあるなしに関わらず、ひとりの人間としてとても共感のできるシーンが沢山ありました。
これが映画のよさだと思います。
藤田さん親子の志としずかなつよいやさしさ、胸をうたれました。
本当によい「現実の物語」を届けてくださいまして、心からありがとうございました。
感謝いたします。
  (Bさん 逗子市在住)

『かぐやびより』は全く「期待外れ」な映画であり、鑑賞要注意な作品です。  
 私は、友人の誘いで基礎知識ゼロ、期待満々で上映会に参加しました。3ヶ月前に仲間とともに障がい者支援施設を立ち上げたものの噴出する難題にかなり疲れを覚えていた、そんな私の期待は、映画でも観て気分転換になればいいな、豪華な俳優陣の卓越した演技、饒舌なナレーション、エモーショナルなBGM、御涙頂戴的なストーリー展開にどっぷり浸かって泣いたらスッキリできるかも、成功した障がい者施設の運営のヒントでも見つかればめっけものだ、といったものでした。ところが、映画を見終わった私は、ぐうの音も出ないくらいの放心状態、まさに私の期待はことごとく裏切られたのでした。
 ナレーションもなければBGMもない、一人称視点で淡々と『さんわーくかぐや』を取り巻く自然の営みとそこに集う人々の何気ない日常が映し出され、自分もそこにいるかのような錯覚に囚われました。そして、障がい者支援に関わっている自分が大事だと思っていた福祉に関する知識や支援スキル、施設の運営術などよりはるかに大事なものがあることに気づかされ、私の福祉に対する考え方が根底から覆る、そんなパラダイムシフトを体験した次第です。
 私にとって『かぐやびより』は、そういう意味で「期待外れ」であり、一生忘れることのできない映画となりました。
 まだご覧でない方々、くれぐれもご注意ください。この映画は、あなたの人生を変えてしまうかもしれません。
(埼玉県加須市 就労継続支援B型事業所『勇希の森』施設長 眞田雅臣)

私には、障がいのある子どもがいます。
特別支援学校を出て4年間介護施設の清掃員として働いた後、仕事が辛くて辞めてしまいました。
今は自分の夢を叶えるため教室に通う日々です。
親子の密な関わりを有難く思う半面、社会とのつながりが薄く、時々不安を感じます。
この映画を見て何かヒントになることがあればと思い見させていただきました。
見るうちに身体がリラックスしていきました。
「そのまんまでいいんだ」という、ほっとするような感覚になっていきました。
監督の穏やかな語り口が居心地がよいです。
  (Aさん 逗子市在住)

さんわーくかぐやは「生きる力を取り戻す場」だなと感じました。

・暮らしの中にアートがある事の大事さ、売れるモノを作るもあるかもしれないが、
自分を表現するために作りたい物を作る事が、人を元気にさせる事。

・そうめん流しも手間暇をかけて、竹から作る事で体で分かっていく何かがある事。

・鶏のエサづくりやえさやりで、得られるもの。→鶏たちもかぐやの大事なスタッフ
ですね。

等々たくさんのことを感じました。

福祉の枠を超えて、人の営みとして大事なものを教えていただいたように思っていま
す。

折に触れかぐやのことを思い出して、私自身の立ち返る基点にしたいと思います。

上尾・桶川・伊奈基幹相談支援センター
 白石 直己

福祉施設が舞台というそんな先入観を持たずに見て頂くことをお勧めします。『素のままの人間と人間の交流』が描かれており、真のドキュメンタリー映像です。
個々の発する言葉。表情。動きを感じながら見ていると、かぐやに居るかの様な世界観になりました。
世の中は障害者とか、健常者とかで区別をするけど、かぐやは区別も特別もない、平等な居場所になっている。しかも、依存する場所ではなく自立していく場所になっている。
子を思う親…
親を思う子…
そんな家族のありのままの人間模様も描かれております。
監督の津村氏が「今回は何も準備せず、直感に従って撮影に入った」とおっしゃっていましたが、だからこそ美化することなく瞬間瞬間のリアルが描かれています。
見終わったあとは感動よりも先に人のぬくもりや温かさが沸き上がってくる映画でした。
世の中、まだまだ福祉や障害に対して劣等感を抱く人たちがいるのも事実です。。。
別に価値観を押しつけるつもりはないけど…
福祉や障害を知らない人にも見て感じてもらいたい。
そんな、素敵な映画でした。
障がい者グループホームおにぎり(埼玉県伊奈町・蓮田市) 
 スタッフリーダー
 岩田宏司


 

見れば見るほどかぐやの皆さんの魅力に惹き込まれる…そんな映画です。
 
生きる事にも死ぬ事にも意味があり、藤田さん親子の想いが皆んなの居心地

が良い空間を作って居ると感じます。

福祉の小さな枠ではなく社会へのメッセージの物語です。
障がい者グループホームおにぎり(埼玉県伊奈町・蓮田市) 
 管理者
 高村 さち子

鑑賞後に、心が洗われる気持ちにさせてもらえる映画です。
 たんたんと、日々がつづられているにもかかわらず、
心が、揺さぶられる映画です。
 ぐっと、涙がこみあげてくるシーン。思わず、つられ笑いが出るシーン。
様々な日常が訴えかけてきます。
 見る人によっても、感じるシーンも違うのではないかと思います。
また、見るタイミングによっても、感じ方も違ってくるのではないかと思います。障害があるとか、健常ということで、人を分けるのではなく、
人は、ひとり一人、それぞれ違った、性格・特性・そして生き方をしている。その中で、生きづらさと、そして、生きがいとを感じながら、必死になっていきていることを、気づかされました。
 生きていることがすばらしい。
障がい者グループホームおにぎり(埼玉県伊奈町・蓮田市) 
 代表
 松田大助

生きにくさというものは、現代社会に生きる多くの人が抱えているのではないかと感じています。

自身も20代の頃、精神的危機を得たことに起因して退行を起こし、自分が誰だかわからなくなってしまったことがあります。
自らの名前を思い出すまでに3週間、仕事復帰までに3年を要しました。

現在は多くのひとと関わりあいながら、生きることが出来ています。
しかし、今でも「生きにくさ」はすぐに顔を出します。

障がいって、健常って、何を指しているのだろう・・・?
この問いに、わたしは明確な答えなど持ってはいないけれど

かぐやに集うかたがたや 私だけでなく、誰しもが「関係性」に癒され、励まされ、同時代を生きている似た者同士であることは間違いない。

この映画には、本来、人々の関係性をあらわしていた「人間」という言葉の意味そのものが、静かに映し出されていました。

そして「人は関係性のなかに生きている」ということの、揺るがなさ、力強さも。

誰かを特別視したりはしない、けれど必要な手は差し伸べあう、温かな眼差し。
人間を生きるのも悪くないな、そんな風に思えました。

れな 会社経営)

「かぐやびより」というタイトルが秀逸です。

映画の舞台は実は深刻で重たい問題を抱えているのだろうに、

それを隠すことなく、軽快にかぐやの世界が流れて引き込まれました。

藤田さん親子の人柄、世界の捉え方の素晴らしさがあり、津村さんのその世界への対等の接し方も感じられて、気持ち良い帰路となりました。

静流さんの歌にもまた泪…

(中里繪魯洲 彫刻家)

今まで2回見ることが出来ました。

説明は入っておらず、ただただかぐやの日常を撮り続けている内容で、元·理事長・藤田慶子さんの親としての気持ちを吐露したシーンは胸がしめつけられました。

現·理事長・藤田靖正さんの利用者への思いやりのある声掛けと配慮。

利用者の抱えている生きづらさや、かぐやにたどり着くまでの苦労、自立へ向けての退所などの飾らない姿は、いろいろな人にも通じるものがあると思いました。

一回目は、福祉作業所を知らない健常者の立場や、受け入れる側に近い立場で。
二回目は、障害者と健常者それぞれの立場から作品を観ている自分がいました。
(たんたん 体幹障害/作家名:西紡生)

鶏の鳴き声、キャベツを刻む音、電動ドリルの機械音、足音に息づかい

自分もその場にいて同じ音を聞き、同じ匂いを嗅いでいるような気分になっていました。

個性豊かで魅力的な利用者さん達にほっこり。
サラリと温かいスタッフさん達にもほっこり。

突然、異世界に迷い込んでしまったようなお祭りがなんとも妖しげで、ぎゅっと心をつかまれました。

社会でも家庭でも居心地の悪さを感じている方達がどれだけたくさんいらっしゃることでしょう。

家族が笑顔でいるためにも、第3の居場所の必要性を強く感じます。

誰もがありのままの自分でいられますように。

(濱田年古 NPO法人とことこ・理事長) 

こんなにも人物一人一人が生き生きと描かれたドキュメンタリーを見たことがありません。
いつのまにか、自分は彼らに会ったことがあるような、一緒に踊ったり、庭の長い木のテーブルを囲んで一緒にピザを食べたりしたことがあるような、そんな錯覚さえ起こさせる映像空間でした。
ここに描かれた瞬間に至るまでには、それぞれに壮絶なストーリーがあるのだけれど、鑑賞後、思い出すのは、映っている皆さんの笑顔ばかりでした。
檀上かおり 映画監督)

また「かぐやびより」見てきました。3回目です。
何度見てもいい映画です。心がゆったりとほぐれていきます。
あたたかな気持ちになれます。
いっしょに生きていくことに希望が持てます。
 いつも寝っ転がっていたり、歌を歌いながら踊ってたりする青年が登場します。その人のたたずまいがいい。いい人生やってるなぁ、となんだか嬉しくなります。
こんな風にありのままの自分でいられる場所は、誰にとっても居心地のいい場所。 
みんなでごはんを食べる場面がすばらしくいい。
大家族、といった感じのあたたかな雰囲気。
障がいのある人達に何かをやってあげるとかっていう雰囲気がないところがいい。
上から目線を感じないごく普通のおつきあい。
今度、ごはんを食べに行こう。
見学、とかじゃなくて。

「かぐやびより」という心地いい日が続くことを願っています。
高崎明 NPO法人ぷかぷか理事長

精神、知的の障害を持っている人の多くは、仕事先でいじめられてしなったりして、仕事に行くにが嫌になってしまう人がいるって授業で習った。
実際に長く仕事を続けられていた人も、いじめにあったり、怪我をしたりとかがあったって聞いて、それでも続けられていたのがすごいと思うのと同時に、続けているのに理由があったのかなと思った。
原さんが親に頼ってばっかじゃって言っていたり、優しい人だと思うけど、親に暴力をふるってしまうって言うのが観てて辛かった。
最後のシーンで原さんが介護施設で働き始めたって観て、何故か泣きそうだった。
(M・A 自由の森学園 中三)

普通って分からないけれど、私が普通に生活するように彼ら彼女らの普通がそこにある。
ある施設では制限をかけることで解決しようとする中で、体験しないと、やらないと分からないというのは、私たちも同じだから、あの場所はすごく素敵に思えた。
居場所を作る中で、依存する場所ではなく自立していく場所だと勝手ながら感じた。
映画を通じて沢山の感情をもらった。
(T・A 自由の森学園 中三 女子))

世界の中の小さなやさしさが描かれている。

感じて味わう。そんな映画だと思った。

わたしも長らく児童福祉の世界にいますが、
福祉施設が舞台というと、なんだかそこに
「特別」な意味合いをもって見はじめてしまうかもしれません。でも普段わたしたちが何気なく区別しがちなものが区別でも特別でもなく、「そのまま」描かれていました。
ありのまんま、そのまんまの「人」であって、
誰かから色付けされることもなく、そのままでした。決して「これっていい話でしょ?」がない。
おしつけがない。
そっと寄り添ってくるだけ。見終わった後は、
心にふわっと、ふれてもらったような余韻が残ります。
そして、また人それぞれが、その人の中のやさしさやあたたかさを味わえる映画だと思います。

(ささきりつこ 児童福祉関連)

みんな絵がすごく上手だった。
カホさんのハクサイすごかった。
言葉を話さなくてもコミュニケーションが取れる場は、言葉を話すのがあまり好きじゃない人とかにすごく良い場所だなって思った。
一人暮らし、自立、働くって言うのはすごく難しいことだと思う。
私も高校に入って卒業した後、自立や働くっていうことをすごく考えて、今も悩み続けている。
原理子さんが親のことも考えて自立するために、自分の中で葛藤しながら、最後さんわーくかぐや を出て自立した姿を見て、すごくパワーをもらった。
(T・Y 自由の森学園 中三)

一人ひとりの方の言葉を、顔の表情を、からだの動きを、気配を見ながら、自分がそこに実際に居て会っているように感じてしまいました。
それぞれの方のお名前を覚えようとする自分がいました。
人間はそれぞれの思いと、ある意味宿命を背負って生きるのだな・・・
それはあの方々の後ろに、横にいる家族にもずっと繋がっているものでもあるのだなと。

涙が溢れながら、何の涙なんだろうと思いました。
まずは、なんとみんな可愛いんだろうということのように思いました。
“可愛い“これはあの場所が生み出しているものなのだろう。
有難いという気持ちと、切ないような気持ちがないまぜになっていました。

友達にしてもらったような気がしました。
 (山田せつ子 ダンサー/振付家)

私には所謂“障害者”という方は身近におらず、接点もほぼありません。しかし【自分以外の人たち全員】の想いや動きに関心があります。
最初の方では、誰が施設のスタッフで誰が利用者さんか?分からない状態でした。
だんだんと私自身も「さんわーくかぐや」の一員で、仲間になったような心境になりました。
「さんわーくかぐや」で起こるいろいろな出来事、そこに関わる方々のココロの動き・・・一進一退しながらも、ちょっとずつみんなが成長し、仲間と共に、喜びを分かち合える・・・淡々としててささやかだけど、【幸福感】を第三者である私もリアルに感じ、共有することが出来、感動、感謝でした。。。☆

「人は幸せになるために生まれて来た。かけがえのない仲間と共に。そんな当たり前のことを、この国、この世界の人々全員が実現するために必要なのが【福祉】というものなんやなぁと、    改めて気づかせて頂いた、映画でした。
       (大橋良子 大阪在住)

映画『かぐやびより』、また見てきました。
何度見ても幸せな気持ちになります。        なんなんだろう、これは、と思うのです。
やっぱりあそこで働いている障がいのある人達のチカラではないかと思ったりするのです。              人を幸せな気持ちにさせるチカラです。
彼らの周りにいる人達の幸せもビリビリ伝わってきます。         いろんなイベントに集まった人達みんなが幸せそう。
 映画を作った監督も、はじめてかぐやを訪れた時、やっぱり このなんともいえない幸せを感じたのかも知れないと思いました。だから映画を撮り始めたのではないかと。                     幸せに説明はいりません。だからナレーションもなし。        幸せがストレートに伝わってきます。
(高崎明 NPO法人ぷかぷか理事長 2回目の投稿)

全編ノーナレーションで字幕もない。
誰が誰なのかよく分からないまま、
日常のひとこまが静かに重なり合っていく。
いろんな人が「かぐや」の扉を出たり入ったりしながら、季節が過ぎていく。

何ともいえないこの距離感に変化が現れるのは、
メンバー各自の個性がだんだんわかってくるから。
気づけば彼らと一緒に笑ったり、心配したり、うるっとしたり。
他者による説明が一切ない分、自分の気持ちの動きに気づきやすい。

私たちは日々、何を見て生きているのだろう? 
生きる喜びとは何なのだろう?
「かぐやびより」は観る者にその答え探しを託した作品だと思う。

村山みちよ(プロデューサー/シアトル在住)

私は「かぐやびより」を観て、どこか仕事に対する心持ちが変わったような気がします。
まだまだなとこもあるし、模索中なこともあるけれど、やっぱり大事にするべしことは大事にするべし‼︎ってシンプルに思いました😊
真心というか…✨
映画の面白さも初めて感じました‼︎
(辻 奈々 障がい者支援施設 浅間学園 支援員)

私の兄も知的障害があり、映画を観ていて昔のいろんなことが蘇ってきました。
母はあまり外と繋がっていこうとするタイプではなかったので、いろんなことを自分の中に抱え込み、思い返してみると子ども時代、家の中では辛いシーンが展開されたこともありました。
父はあまり積極的には動いてなかったようなので、よけいにそうだったのでしょう。
かぐやに通って来る人達やそのご家族にも、映像には映ってないけれど我が家よりもっともっと大変なことがあるんだろうなあと思います。
けれどかぐやに出会い、あんなふうに安心して個性を発散し、自分を表現できる場を得ることができたというのは、何よりの幸せだと思います。
それはまた運営されている藤田さん親子も同じなんでしょうね。
兄も昔は就職先でいじめられたりして苦しい時期がありましたが、その後いい共同作業所に出会って、67歳の今も仕事をし、市民グループに入って好きな合唱を楽しんで生き生きとしています。

戸田直子 京都在住)

自分のイメージしていた障害者施設というものと良い方向に違うことにとても惹かれました。職員の方も単に「仕事だからやっている」という感じではなく人として「人」を観てやられている感じで、それが利用者の方々の良い表情につながっているのだなと思いました。

(鈴木裕策 49歳)

いろいろな人がいていい
一人一人がそのままで 
そのまま ありのまま
あたたかくて
幸せなところばかりじゃない
悲しくて つらい 
そんな反面の部分が
写し出されているのが 
とても良かったです。
(おぐりゆうこ)

 かぐやさんが特別である点として、障害の有無、重度かどうかなどに関わらず、一人一人を社会に生きる人間として扱っているところに惹かれました。
一般的な障害者施設は、おそらく障害者と健常者を分けて考えているから、接する側にも無意識に「彼らは異質な存在である」という感覚があるのではないかと思います。
職員の方の「みんな辛いことを抱えているけど生きてる」というような言葉に、まさにかぐやさんの素敵な考え方が表れていると感じました。
(すずきあかり 18歳)

一人一人が 喜びも悲しみも抱えながら
言葉にならない想いを
ここでは安心して表す事が出来る
“ただ生きている“ その事がどれほど尊いことかを
感じさせてくれる映画でした。
かぐやで大切にされている事が
この社会の中で大切に出来たら
どんなに幸せだろう
“命が輝く場所“
そんな風に感じました。
(糸井真理子)

小二 ダウン症児の母です。
前田さんの姿をたくさん見てしまいました。
動きが息子のように見えて 微笑ましくみてしまいました。
かぐやの人たちの表情がとても素敵で
息子も大人になって 
楽しいことを たくさん出来る
かぐやのような場に 出会えるといいな。
(浦 40歳)

子供を育てる親となり
私自身も不登校の経験もあり
この世界にいろんな人がいる中で
ただ受け入れて 自分でいられる 一緒に成長できる場所
家庭 環境を家族にも 友達にも
共に作っていけたらいいなあと思いました。
(春山彩 34歳)

どんな映画?と言われると、日常かな。

私もそこにいてまるっと受け入れてもらえているような気持ちになった。通所する彼らがいかに今までの日常が大変だったかと、見終わってその重さに苦しくなる。

かぐやは、統合失調症の長女の過ごす場所、居場所として作られたと知りました。その長女の自死はあまりにも辛い。

涙がとまらない。

少し前の長女の苦しい時間と重なるから。

不登校の子どもたちの生きづらさとも重なるから、こういう関係を作れる場所が、人間誰しも必要だと思う。

自分の在り方を考えてみようと思う。

(こあさん 4人の子供の母)

 映画に出てくる皆さんとの距離感が心地よい映画でした。

説明の字幕がないことで臨場感があって、私もその場で一緒に前田さんの踊りや、かほちゃんの絵、大王さんの踊りを見ているような気がして、思わず拍手しそうになったりしました。

 美化することなく、その人の瞬間瞬間を切り取られていて、みんな魅力的だけれど、さらりと暴力の話も出てくるところが、生きていく苦しさも感じられました。

(佐藤佑香(市職員)

鑑賞中、たぶん10回かそれ以上、私は「うわあああ」という勢いで「泣けそう」なテンションになった。

そして最後の最後には耐え切れず涙が出て、マスクが濡れて微妙に気持ち悪かった。

  障害がある人でもない人でも実際は明日どうなるかは誰にもわからない。

ただ、命についても考えざるを得ないほどに、今を生きていることが伝わって来る。

それが何だかすばらしくてそして少し切なくて泣けてしまった。

私はドキュメンタリー写真家ではないから、写真は撮れるけど、心得がまだまだ未熟であると思う。

例えば仲間と、自分の生きる社会とつなげてつながっていくとしたら。

そんな可能性を鑑賞後に考えた。

つなげたがりの血が、少し騒いだ。

(菅原 理美 Life Studio 湘南店店長)

友人に教えてもらった映画を

なんも知識もなく観ましたら…

「普通という基準で生きなくて良いんだよ…

生きてるそのまんまで…良いんだよ…」

そうメッセージされてるみたいに感じて…

なんだか、な〜んにも考えられないで

段々と無意識というか

無空間?の中を漂う意識?

みたいになっていました…

観終わった後に

なぜか?自分の精神が

苦しかった時の映像が重なっちゃって、

泣けちゃって、

泣きながら、

「ただ、ありのままを…こんな世界もあることを

伝えていただいてありがとうございます。」

っていう人の在り方を感じさせてもらえたことに

感謝の氣もちでいっぱいになっていました…

(中島心也真也)

 いい映画を見てきました。『かぐやびより』という映画です。 障がいのある人達がいっぱい登場するのですが、福祉の匂いが全くしません。ただただ人への愛おしさがあふれている。愛がてんこ盛り!って感じ。だからみんな幸せ。みんなの日々が輝いてる。

 その幸せ感がビリビリ伝わってきて、こういうことこそ大事だよな、とあらためて思う。 それと、あたりに漂うなんともいえない泥臭い雰囲気。これがものすごくいい。気持ちがふわっと安らいで心地いい。今、社会に必要なのは、この雰囲気だよな、と思う。

 私たちが見落としてきたもの、福祉が取りこぼしてきたものが、この映画にはいっぱいある。ぜひ見て下さい。虐待で騒がれている施設の職員はこの映画をしっかり見た方がいい。虐待をする施設と何が違うのか、何が施設で抜け落ちているのか、映画を見ながら自問した方がいい。  

高崎明(NPO法人 ぷかぷか理事長)

 ハートフルな映画だったから みんなそこで生きていたから・・
映画を観ていたハズなのに私まで 時空を超えて、「そこ」にいたような体験をした。
映画を観る前と 観た後の私はもう別の人間だ。
観た後の私は、せんえつながら みんなのことを知っている 家族のひとりだよ。
舞台挨拶では「言葉を発しない」エリカさんもご登壇された。
「発しない」のになぜ登壇?
けどそれは映画を観たらわかる。 発しなくとも伝わるからだ。
「楽しい」も「嬉しい」も。
「そこ」にいる人たちの映画だった。初めはビックリするかも。
それは知らなすぎて、見たことがなさすぎて。
けど、観終わる頃には もう家族になってるよ。観たくない? 観たいでしょ?
奥山佳恵女優・タレント)

『かぐやという〈場〉』

 同じ場所を何度も往復し、歌を口ずさみ、作業の手伝いもせずに踊る青年に

心の底から「いいなあ!」と緩やかな笑いが込み上げる。

何故自分がこのようにしてあるのか、人は誰もその所以はわからない。

だから何も気にすることなく ありのままで居ることを許される。

そういう場所があるというのは それこそ幸いだ

対象への評価や作為を持ち込まない 津村氏の純粋で直向きな眼差しがそっと

〈人とは何か〉を問いかける。

福冨哲雄映像プロデューサー・ディレクター)

 福祉施設や障がいをテーマにしたドキュメンタリーは「啓発」に重きが置かれている印象がある。
この映画は、見ている私たちに価値観を押し付けない。そこには「見ている方に感じてもらいたい」という監督の想いがある。
映画を観ていると、不思議なくらい自然な呼吸で、さんわーくかぐやという福祉施設に行った気分になる。

良い感想を言わなくてはいけないと言う妙な緊張感はなく、福祉や障害を知らなくてはついていけないと言うことも全くない。
「ただ、感じる」この不思議で楽しい感覚は何だろうか。
小川優フリーアナウンサー)

 ファインダーをのぞく目は。プラス1でもマイナス1でもない。プラスマイナスゼロの世界だ。

昔見た戦場カメラマンのそれと同じ静謐さで一人一人の様々な思いを浮かび上がらせる。

様々な生きにくさを抱えて生きている彼らの心のありように、何度も涙がこぼれそうになる。

みんなに愛されたい、楽しく過ごしたい、幸せと思える人生を送りたい。

求めるものは特別に大きなものではない。当たり前の感情だ。

君が私にとって、かけがいのない存在だということを愛のオーラで伝えていきたい。

そう思った。

ステキなドキュメンタリー映画を見せていただき、有り難うございました。

細沼凉子 (メンバーの母)

 私には、知的障がいを伴う22歳の自閉症の次男がおります。

いろいろありつつも幸い就労に結びつくことができ、今は一般企業で働いています。

息子が将来仕事を続けられなくなったときや、もう少し違うコミュニティ、居場所を必要としたときに、どのような生活環境をみつけてあげられるかは私たちの永遠の課題になると思っています。

私自身、障がいのある息子を育てていること、息子の育ちを支援してくださった方のことが忘れられず

公立中学校の特別支援級のヘルパーとして働いています。

私たちには、長男もおり、この春医学部を卒業し、藤沢市の病院で医師として独り立ちいたしました。

ごく普通のサラリーマン家庭から医師という職業を選択した背景には弟の障がいや、それまでの家族のありかたがその動機のひとつになっていることは間違いありません。

彼はまた、違った場所で障がい者や、その家族の気持ちに寄り添える医師になるのではないかと思っています。

この作品が共生社会の理想と現実を考えるきっかけになるといいですね。

笠松由紀公立中学校・特別支援級ヘルパー)

 一人で撮影、編集、出演交渉、許諾…その大変さが分かるだけに、映画として見事上映までに至ったことをまず尊敬します。
丁寧な説明がないことで、自由に思い巡らせることができました。
ラストも素敵でした。皆さんがいろんな場所から我が家へ向かうシーン、
原さんが津村さんに歩み寄り声をかけてくる所。
彼女の人間性が滲み出ていて、とても可愛いらしかった。

障害ってなんだろーな、生きるって大変だけど面白いなー。でも親は大変だよなー。
普段彼らのような人をそこまで見かけないということは、それこそ不健康で、隔絶された世界に閉じ込められてるのかなー…
いろいろな事を考えさせられました。

子供たちにもぜひ見て欲しい作品です。
私は中学生の息子を連れてもう一度、観に行きます!

梅津敦子TV番組プロデューサー・ディレクター)

 一緒にそこにいる気分になって笑える映画でした。

映画の中で「楽しいね」と言葉に出しているのを聞いて、いいなあと思いました。なにげない一言なんだと思いますが、心が動いたことを言葉に出して誰かに伝えるって、いいですよね。なにか特別なことが起こらなくても、楽しいね、うれしいね、という瞬間があるって、いいですね。何か特別なことが起こるわけではない日常を記録することは、テレビではそうそうやらせてもらえない、何かドラマがないとおもしろくない、何かそこにフォーカスする理由がないと番組として成立しない、という理屈の中で、撮影のために何かをやってもらうことばかりなテレビの世界にも、わたしは息苦しく感じているのかもしれません。

自分がどうありたいのかを考える1日でもありました。といっても、答えは出ないけれど… 

梅澤恵利子TV番組ディレクター)

 かぐやびより、ほっこり時間をしに行ったつもりが
琴線に触れまくりで1時間半ほぼ泣いてた(まぶたパンパン??)
深いところが揺さぶられるこの感覚は言葉にはできないなあ
祖父がが建築家(か棟梁)
利用者さんが満足そうな表情で
「ああ俺、じいちゃんの役に立てた。」
という言葉が胸に刺さって抜けない。
誰もがこんなにも人の役に立ちたいと生まれてくる
私は子育てをして初めてそれを知った。
沢山の薬で抑えるのだけではなく
その障害を抱いて生きていく大切さ。
一人一人の包容力がもっと大きくなりこの社会が子宮のような弾力をおび
さまざまなことを共感しときに面白がって一緒に生きられますように
かぐやのような懐の広さよ
ひろがれ~~
愛の伝染だ~~

るんちゃん二児の母・鎌倉在住)

 皆さんが制作されていた作品もとても印象に残りました。
既成概念や知識にとらわれている私には到底描けないものだと思いました。
憧れます。
障害があるからこそ純粋に見えてるモノや、
障害が無くても知識に邪魔されて見えなくなっている物は
沢山あるのだろうと思いました。
そしてそれを表現する手段も純粋で、絵を描く事や、何かを作り出す事を楽しんでいて、
自分を貫いている感じが素敵で羨ましいと感じました。

濱岡朝子絵描き・藤沢在住)

 まず率直に感じた感想は「すべての映像が『優しく心地よい』」ということでした。被写体の皆さまの人間らしさと、制作者の優しさ、温かい眼差しが化学反応を起こし、みる側を引き込み、かつ物思いに導いていきます。

私が考える良い映画論は、見終わった後に印象的なシーンが次々に頭の中にリフレインしてくる映画です。

やっぱり原さんの笑顔、悩んだ顔は最初にリフレインしてきますし、副理事長の藤田さんの表情、大王さんのダンス、ダウン症の男の子の優しさ、自閉症の女の子の純粋さなども思い浮かびます。

本当に色々考えさせる作品を見せて下さり、ありがとうございました。

藤井耕介NHKエデュケーショナル・科学健康部チーフプロデューサー)

 私はかぐやびよりを見て…言葉だけでは言い表せない感情で包まれた。今まで私がかぐやで感じてきた魅力をさらに越えた感動に包まれた。かぐやそのものの感じもするし、もっと深いところが感じられ気した唯一無二の映画だ。

考えるのではなく、感じとる映画。なぜだか、涙が止まらない。

かぐやに関わる人々の日常。かぐやで過ごす人々の人生。人はね、こうやって生きていくんだよ。

人はね、こんなにも愛おしい存在なんだよ。

人が幸せになるために、必要不可欠なもの、それは、誰かに心から愛されて、あなたはあなたでいいんだよって全部を包みこんでもらえたかなんだよ。

人との繋がりが何よりも人を強くして、人を豊かにするんだよ。

そんなことに気付かせてくれる映画でした。

Shimizu Kana教師)

 かぐやの映画、割とガチのドキュメンタリーだったwwww

かぐやに通ってるみんなもそれぞれ大変な過去があって、初めていまのかぐやでの幸せを謳歌してるんだなぁ・・・・。

俺、なんだか自分が恥ずかしい・・・・。

山崎翔太郎メンバー)

 ノーナレ2時間のドキュメンタリーということで、友達を呼んだ手前、大丈夫かな?とちょっと頭をかすめましたが、いやいや、2時間あっという間!
途中から温かい涙が止まりませんでした。
テレビだったら、わかりやすく説明を求められると思うのですが、この映画にはそれが必要ないんだなと納得しました。
ただ観る人が、その場に立ち会えばいいんだと感じました。
いつの間にか、「さんわーくかぐや」に一緒にいるよう
な感覚になっているんですけどね。
知的障害や自閉症の人は、自分の世界の中でどこか超越して生きているように思っていたんだけど、人間関係に悩んでいる姿を見てハッとしました。
そうだよ、みんな同じように悩むこともあるんだよって。
自分がとても愚かです。そんなことにも気付かなかったなんて…
なんだか心洗われました。

田上志保TV番組ディレクター)

 沁みましたー。色んな人の優しさが。

藤田さん親子の受け入れて、包み込む優しさももちろんですし、利用者の皆さんの優しさも。

利用者の皆さんの大変な苦労もあったようですが、じんわりとした笑顔や、ユーモアというか個性というか。

みんながちゃんと乗り越えながら、向き合いながら、支え合ってる感じがとても良かったです。

みんなにちゃんと役割があるんだな、と伝わってきました。

障害を持って生まれて来た子供の親としても、色んな事を考えながらみました。

やはり親として、心配も多いし、見守っていたい(結局は自分が安心だから)という想いがありますが、絶対にどんな人(子供)にも、自分の社会が必要で、そこは離れてあげなきゃいけない。

障害のある子供からの子離れが、親にとっての一番の難関ですが、必要な事だな、と。

原さんの物語には、特に思うところがたくさんありました。

退所は淋しくもあり、頼もしくもあり、彼女の行く先に希望が多くある事を願わずにいられませんね。

野田朗子会社員 3児の母)

 自主映画って、やっぱり良いなあ〜〜〜と感銘した。

字幕も、ナレーションもない、現場の状況だけで作られたドキュメンタリー

それって、今のテレビでは多分できない…

だってね、行ったこともないのに、かぐやの人たちと一緒にいるような感覚

もう、観てる人、撮られている人という境がないの

スタッフと通ってくる人たちの境がない。。。

みんなが『家族」みたいになって、ただ、毎日そこで生活している

自分たちで汗水垂らして作ったお米や野菜を切って、調理して食べる。

片付けして、お掃除して、何か好きなことして1日が終わる

なんだろう、、、生きてるっていう実感がそこにはある感じ…

バックパッカー時代はまった島で感じた『生きる』『生活する』感覚を思い出しました

観終わった後、ありがとうと、感謝、という言葉しか思いつかなかった。。。

塩田ユミインターナショナル・コーディネーター)

 淡々と日常が流れていく中、一人ひとりにクローズア ップしつつも重くなりすぎていない。凄い!と思いました。
靖正さん、慶子さんのコメントは素の感じだからこそ、すごく伝わってきて、
津村さんだからこそ引き出せたのだろうなあと思いました。
かぐやのような場所が増えていくことを切に願います。
水澤真美鎌倉あそび基地 理事長・ふかふか 運営)

 うるささ、押しつけがましさから全く遠い世界。淡々としていて、
「ひより」というタイトルに似つかわしい、温かい日常風景でした。
ナレーションがないのは、すがすがしいですね!
わたしは、登場人物に惹かれて、それぞれのファンになりました。
人間の根っこのところで持っているユーモアに笑みがこぼれました。
まさしく、イノセントワールドですね。
日々を大切に暮らしてゆく大切さ、尊さをしみじみ学ばせていただきました。
佐藤美奈子日本語教師)

 映画を観ながら、そして観たあとで更に、僕が彼らになったように感じています。
だからなおさら、あたらしい芽生えを発見しています。
津村さんの眼の中の宇宙の中に僕たちが入ったのかなあと思います。
日影良孝一級建築士)

 笑いあり、涙あり、色々考えさせられました。

見ていて思ったのは、彼らは日常の中で自由であり、正直であり、障害者って区別するのは問題で、彼らの方が生き方が素晴らしいと思いました。むしろ世の中のような環境は異常というか、

問題だなと感じました。個性を尊重し、みんなで食や生活を共にする時間も大切だと感じました。

見に来ている方々も色々で、トークも聞けて良かったです。

下で新村さんの折り紙を見せてもらい、ミッキーのクオリティにびっくり! 

(笹原美香 諸戸林業)

 無難に生きている?


彼らと比べ自分自身に問いました。
喜怒哀楽があり感情がそのまま表に出ていく。
寝転んでも、食べても、行かなくても、働いても、まあまあ自由。
怒っても、喜んでも、悲しんでも、毎日することがあるのは、楽しそうです。
コロナになり感情は表情に見えにくくなった。知らず知らずのうちに感情をコントロールする術は身についたが、彼らは感情を表現しているだけ、私は感情を抑えて表現しないだけ。どちらが良いのかはわからない。
うまく表現できる方法を獲得できると、気楽に生きられる気がしました。
木村亮介建設業)

 映画を観ている途中から不思議な感覚を覚えました。いつの間にか自分も「かぐや」と言う空間に一緒にいるように感じていたのです。
皆んなとの距離が近くに感じるのです。ある人が笑えば共に笑い、ある人が涙すれば自然と自分の頬にも流れ、拍手をするシーンではリアルタイムで自分も拍手をしました。
監督を受け入れてくれている、だからこそ普段の姿が嘘偽りなく映し出されているのではないでしょうか。そしてこの作品は、難しく考えるのではなく私たちが忘れている何かを感じさせてくれる、気づかせてくれる、そう感じました。
柳ヶ瀬善夫ドキュメンタリーカメラマン)